朝日山 平等院 [ ┗京都 楽土の道]
2/26 12:45 神仏霊場巡拝の道 125番 平等院へ HP
今回は南門からアプローチ
鳳凰堂 国宝
wiki>浄土式庭園の阿字池の中島に東向きに建つ。本尊阿弥陀如来像を安置する中堂(ちゅうどう)、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されている。中堂は入母屋造、裳階(もこし)付き。東側正面中央の扉を開放すると、柱間の格子は本尊の頭部の高さに円窓が開けられており、建物外からも本尊阿弥陀如来の面相が拝せるようになっている。阿弥陀如来の住する極楽浄土は西方にあると信じられており、池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀像を拝するように意図されたものである。中堂の屋根上には1対の鳳凰(想像上の鳥)像が据えられているが、現在屋根上にあるのは複製で、実物(国宝)は取り外して別途保管されている。本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作。本尊を安置する須弥壇は螺鈿(らでん)や飾金具で装飾され、周囲の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。長押(なげし)上の壁には楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)があり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(てんがい)を吊る。
御朱印
前回 鳳凰堂の御朱印だったので、今回は阿弥陀様の御朱印を
wiki>現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏の源融(みなもと の とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。 |
鳳凰堂 国宝
wiki>浄土式庭園の阿字池の中島に東向きに建つ。本尊阿弥陀如来像を安置する中堂(ちゅうどう)、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝に指定されている。中堂は入母屋造、裳階(もこし)付き。東側正面中央の扉を開放すると、柱間の格子は本尊の頭部の高さに円窓が開けられており、建物外からも本尊阿弥陀如来の面相が拝せるようになっている。阿弥陀如来の住する極楽浄土は西方にあると信じられており、池の東岸(あるいは寺の前を流れる宇治川の東岸)から、向かい岸(彼岸)の阿弥陀像を拝するように意図されたものである。中堂の屋根上には1対の鳳凰(想像上の鳥)像が据えられているが、現在屋根上にあるのは複製で、実物(国宝)は取り外して別途保管されている。本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作。本尊を安置する須弥壇は螺鈿(らでん)や飾金具で装飾され、周囲の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていた。長押(なげし)上の壁には楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)があり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋(てんがい)を吊る。
御朱印
前回 鳳凰堂の御朱印だったので、今回は阿弥陀様の御朱印を
私が、中学校の修学旅行で訪れた日は、秋なのにカンカン照りの暑い日でした。
水を巡らした平安の庭園に、素直に感激(教科書のとおり!)した覚えがあります。
女子と記念撮影(ツーショット?)で、きゃぁ!きゃぁ!したような妄想も・・・。
by hanamura (2012-06-26 21:10)
今年の9月から屋根の葺き替えと外装の工事が行われるみたいですね。
色鮮やかな平安時代の建立当時の外観が復元されるみたいで楽しみです。^^
by susumu (2012-06-26 21:23)
>hanamuraさん
それはまたずいぶん前のお話ですね~(  ̄▽ ̄)σ
>susumuさん
そうなんですか?Σ(゚Д゚)
宝物館で3D再現されてますが、う~んずいぶん変わってしまいますよね…
工事期間が1年半しかないので、しっくいの補修程度では??
今の外装はいつのでしょかね?
by Sazaby (2012-06-26 23:12)
屋根のふき替えや塗装工事だけのようでした。。。 m(_ _)mペコリ
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120606000132
by susumu (2012-06-27 04:18)
ふーむ
赤い顔料で塗装と書いてありますね。
それだけでもずいぶん雰囲気が変わるでしょうね。鳳凰も金ぴかになるんだ…
by Sazaby (2012-06-27 08:41)