金戒光明寺 [ ┗京都のお寺]
2/13 15:55 真如堂のお隣さん金戒光明寺へ HP
帰りしなに境内を通り抜けてみました。
北門
wiki>承安5年(1175年)春、法然が比叡山の黒谷を下った。その後岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。するとその石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然はここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされる。
この先の西翁院という塔頭に反古庵という重文指定されている茶室があるんですが、
高い壁に阻まれて様子をうかがうこともできず…
遠くに見える山門は改修中 かなり大きそうです。
御影堂(大殿)
阿弥陀堂 慶長10年(1612年)豊臣秀頼が再建した
文殊塔(三重塔) 重文
雨の中あそこまで上がる元気はありませんでした(´ヘ`;)
wiki>会津藩主・松平容保が文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に就任。本陣を金戒光明寺に置いた。
原則的に藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。
なんかそれっぽいものは残ってるんでしょうかね??
帰りしなに境内を通り抜けてみました。
北門
wiki>承安5年(1175年)春、法然が比叡山の黒谷を下った。その後岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。するとその石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然はここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされる。
この先の西翁院という塔頭に反古庵という重文指定されている茶室があるんですが、
高い壁に阻まれて様子をうかがうこともできず…
遠くに見える山門は改修中 かなり大きそうです。
御影堂(大殿)
阿弥陀堂 慶長10年(1612年)豊臣秀頼が再建した
文殊塔(三重塔) 重文
雨の中あそこまで上がる元気はありませんでした(´ヘ`;)
wiki>会津藩主・松平容保が文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に就任。本陣を金戒光明寺に置いた。
原則的に藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。
なんかそれっぽいものは残ってるんでしょうかね??
京都守護職本陣、とっても気になりますね。(^^)
by susumu (2012-05-21 12:21)
>susumuさん
帰りがけにパッと見つけたもんで、よく分からなかったんですが
なにかあるんですかね~??
by Sazaby (2012-05-21 19:09)