SSブログ

因幡薬師 平等寺 [ ┗京都のお寺]

2/12 13:25 ここも京の冬の旅 特別公開のひとつ
平等寺 HP
_DSC3133.jpg
今回も中の写真はないのでした…


_DSC3136.jpg
HP>橘行平は、村上天皇の命で因幡国の一宮に赴きました。そこで神事を済ませ帰洛の途中、行平は急病になりました。平癒を神仏に祈り続けていると、ある夜、夢に異形の僧が現れこう告げました。
「因幡国賀留津の海中に一つの浮き木がある。その浮き木は衆生済度に遠くの仏の国からやってきた。あなたは速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。そうすれば必ず病気は治る。さらに一切のあらゆる願いが成就するだろう」
行平は正夢に違いないと思い、早速人々を集めて大網をもって海底を探らせたところ、お告げの通り一つの浮き木がありました。そしてそれはよく見ると身の丈五尺余りの薬師如来の尊像でした。
行平は喜んでこれを信心しこれを供養する草堂をこの浦に建て薬師如来像を祀りました。

_DSC3137.jpg橘行平ゆかりで橘?
その後、行平の病気は平癒し、無事に京に帰る事が出来ました。ところが帰京した行平にまたある夜、一人の異形な僧から夢告があります。
「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。あなたには宿縁(前世からの因縁)があるから重ねて事を示す」
行平が夢から覚めると丁度、屋敷の西門に来客があると家人が呼びに来ました。
行平が「どなたですか」と問うと「因州の僧だ」と返答がありました。行平は驚いて西の門を開けさせたところ、あの薬師如来の尊像が立っておられたのです。
さっそく行平は五尺余りの尊像を碁盤の上にのせて安置しました。これが長保五年(一〇〇三年)四月八日の黎明のことでした。
行平は屋敷を改造してお堂を作り、このお堂を因幡堂と名付けたのです。


ということで本尊はその薬師如来
_DSC3135.jpg例によってパネルの写真
今も碁盤の上におられたかどうかまでは確認しなかったな…

●みどころ
日本三如来の一つに数えられる本尊・薬師如来立像(重文)
清凉寺式釈迦如来像(重文)
如意輪観音坐像(重文)
開基・橘行平坐像、十二神将、不動明王像など。
小督局遺品「毛髪織込光明真言」
小督局愛用の「琴」と「蒔絵硯筥(すずりばこ)」
『一代要記』(北村季吟写本)ほか高倉天皇ゆかりの寺宝。

こんな感じ

観音堂
_DSC3138.jpg
洛陽観音霊場の札所でもあります。
当山に伝わる二体の十一面観音は元は北野天満宮に居られた観音様で、東寺の観智院を経て当山に来られ、観音堂本尊として安置されました。

拝観後、また再び鴨川を渡って東側へ
松原橋
_DSC3140.jpg
義経弁慶の五条での対決が史実とするならば
かつての五条はここなので、ここで対決したことになります。

wiki>松並木の綺麗な通から「五条松原通」と言われるようになり、後に「松原通」の名前だけが残った。
豊臣秀吉が五条の橋を現在の地に架けたことから二筋南に五条通の名前が移った。

つまり今の五条大橋の位置に橋が架かったのは秀吉の時代。
_DSC3143.jpg
_DSC3144.jpg
nice!(98)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 98

コメント 2

susumu

来客だと思って門を開けたら、そこに大きな薬師如来さまが立っていたなんてそりゃ驚きますね。
因州の僧が置いて帰ったのかも・・・。^^
by susumu (2012-04-24 01:46) 

Sazaby

>susumuさん
 置いてかれたお薬師さんがだだこねたのかもしれないですね(笑)
by Sazaby (2012-04-24 08:36) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。