教王護国寺 有料伽藍 [ ┗京都 楽土の道]
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講堂 重文
wiki>空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、
室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。
東寺の中心となる建物。中には大日如来を中心とした五智如来。
その左右には五智如来の変化、五大菩薩、五大明王を配し、立体曼荼羅を構成しています。
金堂 国宝
wiki>当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。
現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたった。
こちらには東寺の本尊 薬師如来とその脇侍 日光、月光菩薩の薬師三尊が。
薬師如来の台座の十二神将もみどころかと思います。
五重塔 国宝
wiki>高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。
中の写真はないので初層の屋根を支える邪鬼たちを
食堂でちゃんとこちらも頂いてきましたよ
講堂、金堂、五重塔で800円です。 中は撮影禁止なので写真はないんですが |
wiki>空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、
室町時代の延徳3年(1491年)に再建されたのが現存する講堂である。
東寺の中心となる建物。中には大日如来を中心とした五智如来。
その左右には五智如来の変化、五大菩薩、五大明王を配し、立体曼荼羅を構成しています。
金堂 国宝
wiki>当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。
現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任にあたった。
こちらには東寺の本尊 薬師如来とその脇侍 日光、月光菩薩の薬師三尊が。
薬師如来の台座の十二神将もみどころかと思います。
五重塔 国宝
wiki>高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。
中の写真はないので初層の屋根を支える邪鬼たちを
食堂でちゃんとこちらも頂いてきましたよ
東寺の五重塔、いつ見ても雄大ですね。
盆栽風の梅が良いですねぇ。こんなのありましたっけ。
流石、Sazabyさん 目の付け所が違う^^
by 弁慶 (2012-03-27 06:20)
>弁慶さん
まだ咲き始めの春の予感を感じるような梅でした^^
by Sazaby (2012-03-27 06:33)
金堂は豊臣の再建で五重塔は徳川家光の再建なのですね。
歴史の深さと時代の移りかわりを感じます。(^^)
by susumu (2012-03-27 12:23)
五重塔は江戸時代初期の建築でしたか・・・
by 袋田の住職 (2012-03-27 13:36)
その昔、ガイドさんから聴いた「邪鬼」を「ジャッキー」と思い込んでいた時期がありました。
by ソノ日暮 (2012-03-27 16:48)
>susumuさん
豊臣の普請で片桐且元の名前がよくでてきます。
七本槍で名を馳せた名将も、後はそんなことばっかやってたんでしょうか( *´艸`)
>袋田の住職さん
なんどでも甦るのですよ( ̄ー ̄)つ
>ソノ日暮さん
ちょっとかわいいですね(笑)
by Sazaby (2012-03-27 17:40)
護国神社で有料領域があるんですね。
それでもせっかく行ったんだから見たいですね。
私も日光で有料拝観何カ所か有りましたが全て拝観した記憶があります。
by 楽しく生きよう (2012-03-27 19:32)
>楽しく生きようさん
京都のお寺は有料のところが多いですね~
重要文化財もたくさんありますし、維持にもお金がかかるでしょうからね(^_^;)
by Sazaby (2012-03-27 19:44)
五重塔はやはりすばらしい造形ですね。
シルエットでも絵になる建物です。
by よっすぃ〜と (2012-03-27 21:30)
>よっすぃ~とさん
京都のシンボルです^^
by Sazaby (2012-03-27 21:52)