倶利伽羅峠古戦場 [ ┗古戦場をふらふら]
安田城からいったん高速にのって西へ
富山県と石川県の県境付近の山道にはいっていきます。
9/30 16:00 砺波山源平古戦場
wiki>平家軍が寝静まった夜間に、義仲軍は突如大きな音を立てながら攻撃を仕掛けた。浮き足立った平家軍は退却しようとするが退路は樋口兼光に押さえられていた。大混乱に陥った平家軍7万余騎は唯一敵が攻め寄せてこない方向へと我先に逃れようとするが、そこは倶利伽羅峠の断崖だった。平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅した。平家は、義仲追討軍10万の大半を失い、平維盛は命からがら京へ逃げ帰った。
義仲・巴号バス停
いちおうここまでバスはあるようですが、あまり本数は多くないようです。来るとしたら一日がかりですね。
火牛の計
wiki>『源平盛衰記』には、この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つという、源平合戦の中でも有名な一場面がある。しかしこの戦術が実際に使われたのかどうかについては古来史家からは疑問視する意見が多く見られる。眼前に松明の炎をつきつけられた牛が、敵中に向かってまっすぐ突進していくとは考えにくいからである。そもそもこのくだりは、中国戦国時代の斉国の武将・田単が用いた「火牛の計」の故事を下敷きに後代潤色されたものであると考えられている。この元祖「火牛の計」は、角には剣を、そして尾に松明をくくりつけるというもので、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである。この方法であれば、尻をあぶられてたまらない牛は前方に猛突進するというのは、理屈にあっている。
平家本陣跡
芭蕉塚
源平供養塔
富山県と石川県の県境付近の山道にはいっていきます。
9/30 16:00 砺波山源平古戦場
wiki>平家軍が寝静まった夜間に、義仲軍は突如大きな音を立てながら攻撃を仕掛けた。浮き足立った平家軍は退却しようとするが退路は樋口兼光に押さえられていた。大混乱に陥った平家軍7万余騎は唯一敵が攻め寄せてこない方向へと我先に逃れようとするが、そこは倶利伽羅峠の断崖だった。平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅した。平家は、義仲追討軍10万の大半を失い、平維盛は命からがら京へ逃げ帰った。
義仲・巴号バス停
いちおうここまでバスはあるようですが、あまり本数は多くないようです。来るとしたら一日がかりですね。
火牛の計
wiki>『源平盛衰記』には、この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つという、源平合戦の中でも有名な一場面がある。しかしこの戦術が実際に使われたのかどうかについては古来史家からは疑問視する意見が多く見られる。眼前に松明の炎をつきつけられた牛が、敵中に向かってまっすぐ突進していくとは考えにくいからである。そもそもこのくだりは、中国戦国時代の斉国の武将・田単が用いた「火牛の計」の故事を下敷きに後代潤色されたものであると考えられている。この元祖「火牛の計」は、角には剣を、そして尾に松明をくくりつけるというもので、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである。この方法であれば、尻をあぶられてたまらない牛は前方に猛突進するというのは、理屈にあっている。
平家本陣跡
芭蕉塚
源平供養塔
義仲・・・強いなぁ!伝説が多いのでしょうねぇ。
しかし、地形を忘れるた軍は、ドコでも悲惨です。
by hanamura (2011-11-29 05:49)
ここは十数年前に行ったなぁ・・・
枝垂桜が綺麗なとこだったような記憶があります
by くまら (2011-11-29 08:46)
>hanamuraさん
最初のマップでは(ちょっと見にくいですが、)巴御前も一軍の将として進軍していますよヽ(´ー`)ノ
>くまらさん
枝垂桜か分かりませんが、なんか書いてあった気がします。
老夫婦が桜を植え続けたとかいう話だったかな…
by Sazaby (2011-11-29 20:02)
随分、リアルな火牛の像が造られていますね
行って見たい所ですが、中々行けません
by koh925 (2011-11-29 20:16)
>koh925さん
倶利伽羅峠という名前は聞いたことがあったので来てみましたが、
ここは結構山の中なので、ちょっと寄る感じでは来られないですね(´ヘ`;)
麓のほうにはかなり大きな義仲像もあるようですよ
by Sazaby (2011-11-29 21:07)