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法華滅罪之寺 法華寺 [ ┗奈良 鎮護の道]

平城京跡から東へ
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あぜ道っぽいところを進みます。

天皇宮法華寺神社
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法華寺の鎮守社です。HPとかwikiにもなにも書かれてないので詳細は不明。
扉も閉められてました。

5/2 12:00ごろ
神仏霊場巡拝の道 第22番 法華寺
南門 重文 >切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。
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入口は通用門である東門
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本堂 重文 寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。慶長6年(1601年)
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wiki>豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。堂内厨子に本尊十一面観音像を安置する。高欄の擬宝珠(ぎぼし)に慶長6年の銘があり、当時は「講堂」と呼ばれていたことがわかる。前述の慶長元年(1596年)の地震の復興事業として建てられたもので、再建にあたっては、地震で倒れた前身建物の2棟の部材が再利用されている。部材に残る痕跡から復元される前身建物は、1棟が鎌倉時代、もう1棟が室町時代の建物で、前者が旧金堂、後者が旧講堂にあたると推定されている。
DSC08416.jpg本尊は十一面観音像
wiki>国宝像高1.00メートル。本堂の厨子内に安置する。平素は非公開で、春と秋に期日を限って開扉される。「天竺(インド)の仏師・問答師が光明皇后の姿を模してつくった」という伝承をもつが、実際の制作は平安時代初期、9世紀前半と見られる。
御朱印にも「光明皇后御尊像」とあります。


鐘楼 重文
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wiki>鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。ただし、本堂と同様に、前身建物のものとみられる古い部材も混在している。二層建てとし、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式とする

横笛堂
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wiki>かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、赤門の東側に移築されている。『平家物語』や高山樗牛の「滝口入道」で知られる悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物。横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったという伝承のある張り子の横笛像(高さ約30センチメートル)が安置されていたが、本堂に移されている。
そういえば本堂の中にそんなのがあったかな…

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鳥居の奥にはこれまた小さな社と横には薬師堂が
今は広大というほど大きな境内ではありませんが、かつては総国分尼寺。
今の境内から500mほど東の方に大鳥居があったという話。

DSC08315.jpgDSC08318.jpgDSC08325.jpgDSC08321.jpgDSC08316.jpg
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コメント 4

夢旅人

百名城制覇・・・羨ましいです。
城も良いですが、古刹も大好きです。
城も古刹も訪ねて、綺麗な写真を見せて下さい。
by 夢旅人 (2011-08-03 09:45) 

Sazaby

>夢旅人さん ご訪問ありがとうございます。
 だいぶ制覇しましたが、先はまだ長いです。
 まだまだ続きますよヽ(´ー`)ノ
by Sazaby (2011-08-03 17:51) 

punchiti

鐘楼不思議な形をしていますね。
実際に見たらまた更に違って見えるのでしょうね。
by punchiti (2011-08-03 18:56) 

Sazaby

>punchitiさん
 ほんとに袴をはいているようですね^^
by Sazaby (2011-08-03 19:28) 

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