養源院 [ ┗京都のお寺]
智積院と三十三間堂の間にあります。
ここの見所はその時代背景と、お寺の中。 なのであんまり写真はありません。
養源院というのは浅井長政の戒名です。
茶々にお願いされ秀吉が建てました。開基は淀殿となってます。
その後焼失しましたが、今度は お江にお願いされた秀忠が再建しました。
淀君もお江も長政の子供です。
再建の後、徳川の菩提所のひとつのようで、入口には葵紋が
そういえば来年の大河ドラマ お江ですね 小谷城は整備されていくんでしょうか?
中の写真はないのですが、伏見城の廊下を天井板に移設した”血天井”の廊下があります。
関ヶ原の戦い、前哨戦の伏見城の戦いで自刃した鳥居元忠をはじめ諸将の最後の姿が
そのまま血の跡としてうつし出されてます。伏見城の落城が8月1日で関ヶ原の戦いが9月15日
それまで遺体が放置されてたのでかなりくっきり人型に見えるものも。
また、それを慰めるために俵屋宗達の襖絵が(風神雷神のではないです。像と麒麟だったかな)
あとは長政や徳川家の位牌などがありました。
↓こちらは三十三間堂(の門) 今回はパスで
↓これは三十三間堂に入ると見られない三十三間堂の南大門(なんのこっちゃ)
まあ つまり境外にあるわけですよ
ここの見所はその時代背景と、お寺の中。 なのであんまり写真はありません。
養源院というのは浅井長政の戒名です。
茶々にお願いされ秀吉が建てました。開基は淀殿となってます。
その後焼失しましたが、今度は お江にお願いされた秀忠が再建しました。
淀君もお江も長政の子供です。
再建の後、徳川の菩提所のひとつのようで、入口には葵紋が
そういえば来年の大河ドラマ お江ですね 小谷城は整備されていくんでしょうか?
中の写真はないのですが、伏見城の廊下を天井板に移設した”血天井”の廊下があります。
関ヶ原の戦い、前哨戦の伏見城の戦いで自刃した鳥居元忠をはじめ諸将の最後の姿が
そのまま血の跡としてうつし出されてます。伏見城の落城が8月1日で関ヶ原の戦いが9月15日
それまで遺体が放置されてたのでかなりくっきり人型に見えるものも。
また、それを慰めるために俵屋宗達の襖絵が(風神雷神のではないです。像と麒麟だったかな)
あとは長政や徳川家の位牌などがありました。
↓こちらは三十三間堂(の門) 今回はパスで
↓これは三十三間堂に入ると見られない三十三間堂の南大門(なんのこっちゃ)
まあ つまり境外にあるわけですよ
2枚目の写真、本堂前の枯れ枝のように見える木は
枝垂れ桜です、満開の時は幕と相まって見事ですよ!!
by koh925 (2010-06-28 20:33)
養源院の枝垂桜はたまに写真で見ますね。
おそらく満開になる3週間ほど前ですから
まだ蕾も固いころでしょうか
by Sazaby (2010-06-29 05:50)